「新しい行動様式」と言われても…

 再開された小学校での遅ればせの入学式の写真を新聞紙面で見ながら、隣の子どもとの距離を開けて並べられた椅子にマスクを着けてちょこんと座っている小学1年生に私は思いを巡らさずにはいられなかった。
 入学前に「小学校というところはね・・」と聞かされて想像していたものや、それまで通っていた幼稚園や保育園とのあまりの違いに戸惑いと不安を感じていたのではないだろうか。
 上級生にとっても給食は再開したけれど、盛りつけは先生、席を離して、黙って食べるようにと言われ、それまでの給食の楽しみは一変した。先生も「仕方ない」では済ませたくないやり場のない葛藤を感じておられることだろう。
 泣いている子どもがいると赤ちゃんでも覗き込む。困っている仲間がいると手を差し出す。珍しいものを見つけると友だちに知らせ、共に不思議を感じる。給食の時間は「おいしいね」と言葉を交わし、にっこり頷きあう。
 子どもたちは人間社会のなかで保護者や保育者から温かく接して貰いながら、また仲間と交わりながら喜びや悲しみ、驚きを共に感じること、他者を思いやることを身につけてきた。
 東日本大震災ではライフライン、生活物資、建物の被害は甚大であった。子どもの身体活動の機会が奪われたことに私たちは心を痛めた。が、復興に向かう持続力は「絆」であったことを思い出す。ところが今回の緊急事態下では生活物資などに大きな不自由はないが、感染防止のために「絆」は押さえ込むような行動様式が推奨されている。保育現場では「密接」が頭をよぎるたび「無理、無理です」と保育者は声を漏らす。 
 情緒・情操および認知、そして人間関係の発達について、身体性を重要な視座として考えを深めてきた私にとって、第二波、第三波の心配やワクチンの供給が見えない今、発育期の子どもたちのために、また人間が人間らしいつながりを持てるようになるための知恵と工夫、情報機器の賢い利用法が喫緊の課題である。
 

池田裕恵