身体活動の必要性が叫ばれています。
だから“スポーツ”が必要なんですか?

 私が持ち合わせている回答では、ちょっと正解。でも半分以上は不正解、ということになります。なぜならば“スポーツ”だけでは子どもは育たないと考えられるからです。日ごろ私は、子どものからだと心に関する研究に従事しています。そして、生体リズムを整えるためには日中の受光と適度な身体活動が大切であることを痛感しています。また、心の身体的基盤である前頭葉の育ちにはワクワク・ドキドキできるような活動が大切であることも痛感しています。
 「だったら、スポーツがいいんじゃない?」とおっしゃる方もいるでしょう。けれども、元来、おとなが考え出したのがスポーツという文化ですから、子どもでは理解できないようなルールや決まりがたくさんあります。例えば、ここにワクワク・ドキドキしながらサッカーを楽しんでいる子どもがいるとします。その子の目は、キラキラ輝いています。ところが、次の瞬間、「ピーッ!」とホイッスルが鳴って「オフサイド」と宣告されてしまいました。その子のワクワク・ドキドキ度はどうなってしまうでしょうか。おそらく、一気に低下してしまいます。
 もちろん、「スポーツはまったく役に立たない」といっているわけではありません。ある年齢以上ならば、スポーツに興じることによってワクワク・ドキドキすることができるでしょう。実際、時代を越えて継承されてきた文化ですから、そこにはおとながワクワク・ドキドキできる要素があるはずですし、みる者を魅了するほどのすばらしい文化的価値もあります。しかし、子どもが子どもらしくワクワク・ドキドキするための文化としては「遊び」に“軍配あり”と考えることの方が自然ではないでしょうか。
 このように考えると、「いないいないばぁ」や「たかいたかい」のように赤ちゃんには赤ちゃんの、「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」のように子どもには子どもの、「スポーツ」や「芸術」のようにおとなにはおとなのワクワク・ドキドキ活動があると思うのです。これらは、年齢と活動が一致しないと奇妙な光景に映ってしまいます。だって、「たかいたかい」をして喜んでいるおとながいたらどうでしょうか。乳児や幼児がスポーツを行うことも同じなのではないでしょうか。つまり、私たちおとなは自分たちの文化を子どもに押しつけてしまわないような注意も必要ということです。

 

(回答者)
日本体育大学体育学部
教授 野井真吾