遊びは大人への生きる力

 1960年代、1年の半分近くが雪に覆われる札幌市で生まれた私は、その頃の子どもたちが皆そうであったように、耳が凍りつくような真冬も外で遊ぶのが大好きで、降り積もる雪を見上げて胸を弾ませていました。
当時は、軒先から1メートル以上の「つらら」がいたるところに下がっていて、これを剣に変え友達とチャンバラごっこ。屋根から雪山に飛び降り胸まで埋もれ、抜け出せなくなることもありました。
学校からの帰り道では、決まって雪だまのぶつけあいが始まり、雪まみれになりながら行ったり来たり。硬いたまが顔にあたって泣き出す子もいましたね。遠くの電柱を的にした雪だまの当てっこは、人や車にぶつかって𠮟られることも。
また、ミニスキーも子どもたちの必須アイテムでした。プラスティック板の玩具なのに想像以上の性能があり、公園の雪山でジャンプパフォーマンスを披露する子もいました。もちろん本物のスキーも盛んでしたが、ビンディングは今とは違い、ワイヤーをかかとに引っ掛けて前で留めるカンダハーというタイプで、とても外れやすかった・・等々、懐かしい思い出です。 
さて、子どもたちが外で遊ばないと言われて久しくなります。
でも、私たちさっぽろ健康スポーツ財団で子ども対象に行っている歩くスキーやチューブ滑り、絵の具を使った雪色遊び、イグルーづくりなどの冬遊び体験会では、みんな様々に工夫を凝らしながら思いっきり楽しんでくれます。外遊びで自ら試行錯誤を繰り返し、家の中では得ることのできない発想力、想像力、創造力、そして体力をも育んでいく。
いつの時代も子どもたちは「遊び」の天才です。もう一度、子どもたちに外遊びの面白さを教え、その機会や場所を増やしてあげることが、我々大人の役割だと強く思います。
 ヒトは大人になるまでに思春期という時期を通過していく。サルなどはその思春期がヒトより短いので、脳の充実が図れないためにやはりサルなのである。思春期を持つヒトとサルは出生時と成人のプロポーションが大きく違う。しかし、4つ足動物はプロポーション変化がないのである。ここにヒトがサルを経て進化してきた理由がある。進化の結果、ヒトは大人になるまでに子ども期から思春期を経て青年期から長い大人期を過ごしていくのである。発育学的に重要な時期は脳組織が発達する乳幼児期(2歳から3歳)と脳が充実する思春期といえる。筆者が捉える思春期は脳の発育がプラトーになってから身長の発育速度がピークを示す3年後程度と考えている。もちろん、性差、個人差がある。
 遊びは正に、ヒトがこの発育学的に重要な前半の思春期に考え出した文化的産物ではないだろうか。脳の充実を図ると言うことはヒトが大人への準備をすることなのである。子どもにとって遊びは生活のルールになっていく。遊びのルールは子どもにとって絶対的支配力を持ち、そのルールを厳格に守ることによって大人へ成長していくのである。
 筆者の子どものころは高度経済成長の前半で、「三種の神器」と言われた、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が出まわった頃で、テレビでは「月光仮面」が人気であった。近所の子どもたちと一緒に良く月光仮面ごっこをして遊んだ。もちろん、「猿飛佐助」もやっており、チャンバラごっこもした。「ごっこ遊び」に夢中であった。また、「かっちん玉(ビー玉)」、「メンコ」、「ぺっしゃん」等の遊びがあり、これら「もの」をある一定のルールで奪い合う遊びが流行っていた。この頃の子どもはみんな腹を空かしていたもので、腹を満たす代わりに、この「もの」を奪い合うことに夢中になることで、腹ペコを凌いでいたように思う。季節になれば、柿や栗を取るために木に登らなくてはならず、傷だらけになりながら柿や栗を取ったものである。まだまだ思い出せばきりがないが、このような遊びを経験しながら子どもは大人に成長していくのである。
 

愛知工業大学大学院経営情報科学研究科 藤井勝紀